筆者は、このような非情な事件の頻発は、誤った戦後教育の生み出したものと判断する。
いたずらに権利の主張のみに走り、権利に必ずつきものの義務を全(まっと)うすることを怠ってきた。「個の尊厳」は人権思想の根底であり、いくら叫んでも叫び過ぎのない価値観である。ただしこれは相手の「個の尊厳」を認めてこそ成り立つ概念なのに、6年8か月に及んだ占領政策の影響を受けた戦後教育は、いたずらに権利の主張のみに走り、もっぱら人権思想の鼓吹(こすい)にのみ終始してきた。
自由を声高に叫べば叫ぶほど、ルールを守る責任が求められる。つまり社会の規範を守る責任が生ずる。
それなのに自由を何をやっても勝手とはき違え、放縦(ほうじゅう)な生き方をする者が多くなった。
このような環境の中で、戦後の母親は著しく高学歴となり、豊かになり、そして豊富な情報を手にすることができるようになった。
戦後の貧しさ、母親たちの実り少ない下積みの生活ぶりを思い起こせば、いまの母親の環境は限りなく幸せであり、素晴らしいことである。
だが、このような恵まれた環境は、そのまま「あらまほしき(望ましい)母親」「人間らしい母親」「立派な母親」につながるものではないと気づかねばならない。
この恵まれた豊かな環境の下で、教育は荒廃し、親が悪い、先生が悪いと責任を押しつけ合っているが、貧しかった江戸時代から明治、大正、昭和の前半は、「修身斉家(しゅうしんせいか)」と称し、まず自分自身が身を修め、家庭が正しく生きることこそが大事なりと、「みっともない」「はしたない」「卑しい」「世間に顔向けできない」等の言葉で我が身を律し、磨いてきたものである。
時のリーダーたちは藩校で四書五経を学び、「自分がされたくないことを他人にしない」との恕(じょ)の訓(おしえ)を『論語』から学び取った。「他人の悲しみや苦しみを見るに忍びない、なんとかしてあげなくてはいけない」との心の衝動につながる「忍びざるの心」を『孟子』から学び取っていた。
いまの千円紙幣の人物「野口英世」は病理学で人類に貢献した偉人であるが、彼をして発奮させ、大を成さしめたのは無学の母親シカさんであった。彼女は字も十分書けなかった。英世が2歳の頃、母親が外に働きに出たすきに囲炉裏(いろり)に転落し、大火傷(やけど)した左手がとけ固まってしまった。学校で「てんぼう、てんぼう(丸太ん棒)」といじめられても、いまの母親のごとくどなり込みはしなかった。すべてが自分の為(な)した罪とひたむきに心の中で我が子に詫(わ)びた。
その我が身を慎むひたむきな母親の生き様は、英世には痛いほどに通じ、ほどなく周囲にも理解され、同情となり、英世の手術、進学の学費さえ工面してくれる者が出てきたのだ。
「ゆるしておくれ、火傷をさせてしまったのはお母ちゃんのせいだ。私はおまえの勉強する姿を見ることだけが楽しみなんだ。がまんしておくれ」
幼い英世の心は激しく動かされ、猛勉強を始めたという。
最後に、シカさんが英世に宛てた手紙をご紹介しておきたい。
おまィのしせ(出世)にわ みなたまげました
わたくしもよろこんでをりまする(中略)
はるになるト みなほかいド(北海道)にいてしまいます
わたしもこころぼそくありまする
ドカ(どうか)はやくきてくだされ(中略)
はやくきてくだされ はやくきてくだされ
はやくきてくだされ はやくきてくだされ
いしょ(一生)のたのみてありまする
※ 啐は雛が孵化する時に殻の中からつつくこと
啄は親鳥が外から殻をつつくこと
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